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選挙に行きましょう

Bフレッツ

2007年07月20日

7月29日は、参議院議員通常選挙の投票日です。

格差社会に苦しむ私たち沖縄県民は、積極的に投票に行って政治を変えなければなりません。ちなみに私は選挙管理委員会の回し者ではありません。念のため(笑)。

なぜこんな事を言うかというと、私は2年半前に東京から移住してきて、こちらで同じ業種の会社に転職しました。給料が減るのは覚悟していましたが、業務内容や就業時間はほぼ同じで、給料だけが3分の1になるとは思いませんでした。今とても生活が苦しくて困っています。

「沖縄で仕事してるなら、ストレスが無くていいでしょ。給料が多い分、こっちはストレスがあるんだよ。」と東京の友人からは言われますが、それは大きな誤解です。どこにいようと、仕事をしている以上、厳しさもストレスも同じです。沖縄は楽園のように東京では誤解しているようですが、それは観光客向けの宣伝なのであって、普通に生活する上ではこの世に楽園など存在しません。

ではなぜ給料だけが少ないのでしょう?なぜ沖縄は県民所得が全国最低なのでしょう?「生活費が安いからでしょ。」と東京の人には言われそうですが、それも違います。沖縄の物価は東京の人が考えているほど安くはありません。離島ならなおさらです。船での輸送費が加算されるため、家電製品などは東京の量販店の方が安いです。

ではなぜ東京は全国で一番所得が高いのでしょう?


ここに大きな問題があります。「地域格差」という問題です。

数年前から徐々に始まった地域格差ですが、安部政権になりそれが加速しはじめました。なぜか。ここに安部政権の「失敗」があります。

「政治のことはよくわからない」とおっしゃる方は多いので、ここで日本の政治の仕組みについて、極々簡単に説明しましょう。

日本という国家の基本システムは官僚制です。このシステムは、明治国家の創設以来、日本でずっとつづいてきた慣習で、これを破ることは事実上不可能といっていいほど日本の社会に根深く入りこんでいます。おそらくその起源は、奈良平安朝の昔までたどることができます。

各省の大臣が集まって会議をする閣議において、国家統治の最重要事項が決まっていくのだと思っている人が多いようですが、それは違います。では、実質的な国家統治の重要事項が、どこで語られ、どこで決まっていくのかといえば、閣議の前日に行われる官僚達による事務次官会議です。事務次官会議で決定されたものだけが、翌日の閣議にかけられるわけです。では、大臣たちが閣議室にこもって何をやっているのかというと、ほとんどの時間が、大臣の署名が必要な法案(これがものすごく多い)に対して花押を書いては書類をまわしていく事務的手作業に費やされているのです。

大雑把に言ってしまえば、政治家という人達は、国民に政治を見せる「俳優」で、その俳優に細かい指示をする「演出家・脚本家」が、官僚です。

テレビでよく見る国会答弁でも、質問や答弁をしている政治家は、ほとんどが官僚の用意した「脚本」を読み上げているだけです。だから、自分の出番がない政治家は、本職の俳優のように「寝る」わけです。

数百年もこの旧態依然としたやり方でなぜかうまくやってきた日本ですが、(先進諸外国の有識者からは「おかしな国」と言われ続けていますが)ここにきてほころびが見え始めているのは、安倍総理の、人事のミスキャストによるところが大きいです。

安倍総理の人事のミスキャストについては、農水相の自殺や厚労相、防衛相の発言問題などがマスコミに取り沙汰されていますが、最大のミスキャストは、内閣官房副長官の的場順三です。官房副長官は、官房長官以上に内閣の要となるポストだからです。政治に詳しい人は皆、内閣官房副長官に的場順三氏を安部総理が指名したとき、「?」と思ったはずです。

国家システムの実体は官僚が握っているという現実があるのですから、官僚をきちんとおさえなければ、国家の統治機構の歯車がまわっていきません。
霞ヶ関の基本構造を知っている人は誰でも知っているように、その要のポストが内閣官房副長官です。

私は叔父に官僚がいるので、官僚のシステムには詳しいです。
東大の主席クラスを卒業したエリート揃いの官僚の世界で何が一番大切かといえば、やはり順位です。官僚の世界の基本ルールは、幾つかありますが、最大のルールは順位を乱さないことです。
順位の基本は何かというと入省年次プラス入省時の席次です。同じ年に入った官僚たちは、毎年席次に従って同じように出世していきます。一定のポストをローテーションでまわりながら階級を一つずつ上がっていきます。上位に行くに従ってポストの数が減り、上がれない人は外局に出るか、外部に転出していきます。本省局長になれる人は局の数だけしかいないし、次官になれるのは一人だけです。

このようなシステムの中で、事務次官会議を仕切る官房副長官は官僚トップの身分である全省庁の次官を集めてそれを仕切る役ですから、官僚の最高のポストと目されています。そして、これまでは、全官僚から、この人ならと目される人が選ばれてその椅子に座ってきました。

その椅子に座る人は、それなりの存在感を持って全官僚を威圧できる人でした。その典型とされるのが、田中内閣時代の後藤田正晴官房副長官です。
田中内閣時代の田中角栄の支配力の半分くらいは後藤田官房副長官の威圧力によるものといわれていました。

ところが、安倍首相が的場順三をもって官房副長官にすえたとき、これは意外の目をもって見られました。的場は国土庁事務次官の経験者であるとはいえ、そのときすでに73歳で、とっくに適齢期をすぎてます。現役の次官たちとは直接の面識がなく、顔で仕切れるような実績も人間関係もありません。出身も京都大学卒の大蔵官僚で、大蔵省での最高ランクが主計局次長だったから、官僚としては、二流のキャリアしか持っていません。
国土庁事務次官を経て民間に出てから、大和総研理事長を3年ほど務めたあとは、安倍首相に突然大抜擢されるまで、大和総研特別顧問といったポストにしかついていません。

結局なぜ安倍首相が的場を官房副長官すえたのかよくわからないまま様子見をしていた官僚たちも、すぐに、的場の力を見抜いてしまったので、的場は田中内閣時代の後藤田官房副長官とは逆の立場になりつつあります。つまり、存在感がどんどんなくなり、おさえがきかなくなって現場の官僚たちに逆に仕切られてしまっているというわけです。

そういう状況下で、安倍首相も必然的に高級官僚たちに完全になめられてしまっています。

安倍首相の祖父の岸信介は、東大法学部でいつも主席を奪うほどの大秀才で、総理大臣になってからも、難なく誰の助けも借りずに楽々と、官僚世界を支配した、その名の響く大政治家でしたが、安倍首相にはそのような能力が決定的に欠けているといわざるを得ません。学歴にしても吉祥寺にある成蹊大学というお坊ちゃん大学の出身で、東大生を家庭教師に雇って勉強を教えてもらったくらいですから、どうしても東大卒のトップ官僚たちにコンプレックスをもってしまうでしょうし、またその事を知っている官僚たちからは、なめられるのは当然といえます。

では、官僚たちが首相や官房副長官を見限って、自分たちの都合のいいように動き始めたらどうなるでしょう。もうとっくの昔にそれは始まっていて、それが今の格差社会にもつながっています。

具体的にはどうなってしまったのか。

官僚たちは、「お上は偉い、庶民は言うことを聞け」という官僚主導の中央集権国家をつくりはじめました。
 お上は正しくて、民間は間違っている、というスターリニズムの復活を思わせる粛清的な行政処分が乱発されています。民間に対しては重箱の隅をつつくように粗探しをし、自身に対しては常に恩赦を下す。日本のノーメンクラツーラ(≒旧ソ連の官僚エリート)が我が物顔で闊歩(かっぽ)し始めました。
 財政赤字で後がない税務当局は、なんでもかんでも徴税です。グレーなものだけでなく、セーフのものまでアウトと決めつけて、税収アップに血道を上げます。反論しようものなら、「あそこは、課税逃れをしている」とマスコミにスクープネタを提供するから誰もかないません。
 官僚国家ニッポンは、官僚社会主義への道をひた走りに走り始めました。
 資本の論理を嫌い、既存のルールを無視し、反論を許さずにマスコミとタッグを組んで、世論を一色で塗りつぶしていくその構図は、資本主義にも、法治主義にも、民主主義にも似つかわしくありません。「正義」という旗をなびかせながら、官僚社会主義の構築に走れば走るだけ、日本国の魅力は失われていくでしょう。

具体的な事例を紹介しましょう。

ライブドアの元経営者らが数十億円の粉飾決算で逮捕されたのに、夕張市は数百億円の借金を赤字隠しのために使っても誰も逮捕されません。民間ならば「粉飾」なのに、役人だったら「赤字隠し」でセーフになるわけです。
 金銭にかかわる文書を偽造すれば、民間だったら「詐欺」で訴えられます。いっぽう社会保険庁は、最も重い処分でも「停職」。しかも、6人に最長2か月を課しただけです。役人だったら「不正免除」と言われるだけ。おとがめなしですんでしまうのです。
 他人の金を無断で使えば、横領罪に問われます。ところが岐阜県庁では、公金から17億円もの裏金をつくったにもかかわらず、懲戒免職でクビになったのは、私的流用した者を含む4人だけです。職員の半数を超える4421人が関与した事件なのに、それで終わりなのです。民間だったら「横領」なのに、役人だったら「私的流用」で許されてしまうのです。

実は、格差問題で最も重要なのはこの「官民格差」です。
この「官民格差」こそが、社会主義化しつつある日本の縮図といえます。

ところが、いつの間にか安倍政権では「格差ゼロ=非正規社員の正社員化」というばかげた公式の下で、格差社会論が一人歩きを始めています。「正社員=幸せ」「非正規社員=不幸せ」という画一的な価値基準を国民に押し付け、そういう押し付けこそが不幸な格差社会を生み出していることに気づいていません。

「再チャレンジ」が重要だと言いながら、一度つまずいた人間を再起不能にするまでたたき続けているのは一体全体誰でしょう。よくよく考えてみて下さい。

そういう人が「イジメは問題だ」と平然とのたまわっているのだから、本当に呆気(あっけ)にとられます。


選挙は公平が第一なので、私が誰に投票するかは当然言いません。

しかし、一番愚かなのは、これだけの目にあっているのに、選挙に行かない人達だと思います。


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Posted by 相方さん at 18:00│Comments(0)政治
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